翻訳家・鴻巣友季子の「文学は予言する」(新潮選書)を読む。「未来は小説に書かれていた」という惹句につられて手に取ったが、いわゆる世界文学の読書案内といった内容で、改めて「まだ読んでない本、(世の中を知るため)読むべき本は多いなあ」と実感した。
ディストピア、ウーマンフッド、他者の3章立て。「未来小説とは未来のことを書いたものではない。歴史小説とは過去のことを書いたものではない。どちらも、今ここにあるもの、ありながらよく見えてないものを、時空間や枠組みをずらすことで、よく見えるように描き出した「現在小説」なのである」。最初の方に出てくる、このくだりに「なるほど」と頷く。であれば、作品が書かれた後、何十年も経って読むと、ピンとこない話もあるだろう。特に外国の作品となると、その時代を知っていなければ文学作品が何を言おうとしているのか、本当のところは分からないわけだ。
ディストピア小説の代表として何度も出てくるアトウッドの「侍女の物語」は米ドラマとして評判になったようで、一度見てみたい。日本の作家では、多和田葉子、小川洋子、村田沙耶香が多く取り上げらていて、結構読んだ本もあった。そろそろノーべル文学賞の発表時期、今年は日本人受賞はどうだろう。
・人を能力と功績でランク付けする「メリトクラシー」の基本思想がディストピア小説にはある。近年は現実社会でも能力、成果、功績、学歴主義の問題点が問われるようになった
・メリトクラシーに則ったアメリカン・ドリームは「多様性」と「変化」への対応力をバネとしていたのに、グローバリゼーションとハイテク化でこれらが逆作用して、富裕層の固定化を促してしまった
・インテリの人は世界を飛び回っているが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていない。地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りの住人がどんな人かをもっと深く知る「縦の旅行」が必要なのではないか(カズオ・イシグロ)
・多くの大芸術家の妻たちは、ミューズとして、ファム・ファタール(運命の女)として崇めたてられ、搾取されてきた
・英米の出版界では、ヴァースノベル(詩小説)という表現スタイルが一つの分野を作っている