紙の新聞か、デジタルか。技術革新か、スクープか。業界の人間にとっては、この20年ほど常にこの言葉が頭のどこかにあり、自らの拠って立つ地盤、会社は大丈夫なのか、転身すべき時なのではないかと自問自答する人も多かったのではないかと思う。ソフトバンクの孫正義がiPhoneの販売権を得て、国内で売り出したのは2008年6月。10年には4Gが実現し、世間にはあっという間にスマホが普及した。それから12年、スマホでニュースを知る時代が到来するとともに新聞の部数は激減してきたのだ。
今年になってスポーツ紙が相次ぎ休刊、デジタル媒体に切り替わるとの発表があった。次はいつ夕刊がなくなるか。最新のニュースがスマホで見れる環境では、すでに夕刊の存在意義は薄れている。惰性で発行しているのは、広告売上高を減らしたくないという、つまらない新聞社内の事情だけだ。とはいえ、新聞社はジャーナリズムの担い手として生き続けてほしい。米国のように地方新聞がなくなった街を想像してほしい。行政権力に対してものが言えない社会。誰も批判する者がなくなると、必ず権力は腐敗する。ロシアや中国、北朝鮮。官製メディアだけの言論社会は想像するだけで寒気がする。
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