2017年05月29日

時間の言語学

瀬戸賢一さんの新書。メタファーから訓みとく、というサブタイトルどおり、未知の概念を既知の概念で表現する手法について、かなり専門的に語る。

ミヒャエル・エンデの「モモ」に出てくる時間泥棒。これこそ私たちが縛られている時間に関するメタファーの象徴であり、その呪縛から解放されねばならないと指摘する。

人の行動は結局、メタファーに縛られており、「時は金なり」という言葉が明治以来の日本人の時間認識を規定しているという。

そして、「時は金なり」に代わり、「時間は命」という新たなメタファーを提案している。言葉表現から考える時間論は知的刺激が楽しい。



時間の言語学: メタファーから読みとく (ちくま新書1246)

時間の言語学: メタファーから読みとく (ちくま新書1246)



  • 作者: 瀬戸 賢一

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房

  • 発売日: 2017/03/06

  • メディア: 新書





ラベル:時は金なり モモ
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2017年05月27日

永遠の道は曲りくねる


世界60数カ国を放浪したという宮内勝典さんの新作。その該博な知識と体験を散りばめ、戦争をやめることが出来ない人間の業を描いた。



こんな街、土地があったのかと思ったのは、まず、ベルギーのギール。精神病の人たちが巡礼としてやって来る街で、中世から一般家庭に下宿し、共に暮らしている。米ニューヨーク州の北部、カナダ国境近くには、イロコイ連邦があり、いわゆるインディアンの部族の独立自治領として存在する。ラグランジュ・ポイント、太陽と地球、月の引力がつりあうところ。知らなかった。


物語の主舞台の沖縄は幾度か訪ねたが、波照間島はじめ琉球弧の離島については初めて聞くことが多かった。とくに戦争や核兵器の話は、地理に照らし合わせた細かい歴史的事実について、何とあやふやな理解しかしてなかったことかと痛感した。


それにしても見て見ぬフリをする現実の何と多いことか。シャーマンの口から語られる、残酷な戦争の話。対極にある豊かな自然と生きる喜び。大きな世界観を提示した作品だった。



永遠の道は曲りくねる

永遠の道は曲りくねる



  • 作者: 宮内勝典

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社

  • 発売日: 2017/05/17

  • メディア: 単行本





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まつろわぬ民2017

座高円寺にて演劇集団風煉ダンスの公演初日をみる。上上颱風のボーカルだった白崎映美が主演のスエを演じた。歌がいい、衣装もいい、方言がいい、カッコいい。


坂上田村麻呂の蝦夷討伐いらい中央政府から異端、辺境の民として蔑視された歴史を持つ東北の民への思いがあふれる。原発事故汚染を想起させる廃棄物のヤマ。津波で流された家財道具。舞台装置も登場人物も、東北の3・11後をモチーフにしている。


復興と称して、古い町並みを壊し新たなショッピングモールをつくる。そんな中央資本の施策でいいのか。今の復興策を問うてもいる。いつか帰ってくる子孫を待つ避難区域の山河。トランスホームするゲーム世代キャラの土俗の鬼たちが故郷を守る。ユーモアを交えたつくりの中にキラリと光るせりふがある。ちゃんと一本筋の通った音楽劇、観てよかった。東京の後、福島、山形でも公演するという。


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2017年05月20日

ビンローの封印

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久しぶりに雑司ヶ谷・鬼子母神の紅テントにて、唐組・第59回公演をみる。唐十郎作、久保井研、唐十郎演出。1992年の台北公演、その後の凱旋公演いらいの再演という。


ビンローとは、チャイニーズガムともいわれる、噛むと赤い汁が出る実。その赤い汁から連想、妄想が広がる。ビンロー、赤い血、戦争、海の向こう、船、台湾、偽ブランド品--。昭和歌謡(紙ふうせん、テレサ・テン)にのって、キラキラと輝くような言葉が次から次へと役者たちからあふれ出す。


暗転して開幕、途中休憩のときにも客席から拍手がわく。かけ声がかかる。立派なホールでの演劇では味わえない。芝居を見に来てるんだなあと実感する。あぐらがきつく尻が痛いのも、かえって舞台に集中するしかない状況を作り出しているのかもしれない。


アナログな大仕掛けでのエンディングはお約束。混迷の果てのカタルシスが観客を包む。出演者紹介とあいさつの後、舞台のそでではなく、舞台奥の闇、鬼子母神の境内へはけていく役者たち。あの光景が大好きだ。
posted by あぶりん at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | シネマ&演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月19日

誰も書けなかった「笑芸論」

「人生は五分の真面目に、二分侠気、残り三分は茶目に暮らせよ」を座右の銘に生きてきたという、放送作家の高田文夫さんが、昭和から平成のコメディアン、落語家、芸人について、現場で見聞きしたエピソード満載で語る。


サブタイトルに「森繁久彌からビートたけしまで」とあるように、青島幸夫、渥美清、林家三平、立川談志、クレージーキャッツ、コント55号、ドリフターズらの話が次々と出てくる。昭和生まれのテレビっ子にとっては、もう懐かしいのなんの。


ツービートが世に出たとき、山藤章二さんは「漫才はフィクションからノンフィクションに変わった」と喝破したとか、たけしの「コマネチ」は由利徹の「オシャマンベ」のパクリであるとか、坂本九は当初、ドリフターズにボーカルでいたとか、ひょうきん族でたけちゃんマンの宿敵ブラックデビルの初代は高田純次で、風邪のため代役で出たさんまの「クェクェクェ」の方がうけたので選手交代したとか、まだまだお笑い好きにはたまらない小ネタがてんこ盛り。


大好きだったクレージーキャッツ。考えてみると、ジャズマン出身の彼らのリズム感、センスのよさ、カッコよさが子供心にも訴えるものがあったのか。あの大瀧詠一が大ファンだったことも知り、エンタメ界のいろんな人たちのつながりがよく分かる一冊でもあった。



誰も書けなかった「笑芸論」 森繁久彌からビートたけしまで (講談社文庫)

誰も書けなかった「笑芸論」 森繁久彌からビートたけしまで (講談社文庫)



  • 作者: 高田 文夫

  • 出版社/メーカー: 講談社

  • 発売日: 2017/03/15

  • メディア: 文庫







posted by あぶりん at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする